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ある家庭教師の独り言

英語の入試改革は進んできたが、やはり日本は実用英語より教養英語?

 2020年の大学入試改革で、英語は民間の試験を用いて4技能を測ることになっているが、昨日どの試験を採用するかが公表された。
 
 まあ着々と制度面での準備は進んでいるようだが、未だに肝心の思想面の合意が出来上がっていないというか、哲学が出来ていないという気がする。つまり本当のところどういう方向に向かいたいのか、実は合意が出来ていない、さらに言ってしまえば、未だに日本では、本当は4技能測らなくてもいいのに、と内心思っている人が結構いるのではないか。
 
 より実用的な英語力を測るために、英語の入試改革は必要だ、4技能を測ることも必要だと思っている人も、私を含めて多そうなのだが、あくまでも伝え聞く世の状況からそう思えるだけで(実は私もそうかもしれないのだが・・・)、自ら英語が話せないために、どうしても掴みたかったチャンスを逃してしまった、みたいに実感を込めて4技能を測る必要性を訴える人は、実は少数派な気がする。これほど国際化が叫ばれていながらも。
 
 結局日本人の多くは未だに、実際的には英語を必要としていないのだ。なので旧来通り入試の英語では、英語力そのものよりも、その背後にある知性や教養を見れればいいと思っている節がある。
 
 英語の入試改革のためには実はこのマインドの改革が一番重要だと、私は思っている。入試の英語では知性や教養よりも、使える英語力そのものを見るべきだということ、例えば、深みのある表現をじっくり解釈する能力よりも、拙い表現でも即座に言える能力の方が高く評価されるべきだということに、多くの人が納得することが、本当の意味の改革の第一歩だとと思う。
 
 では今回その点は変わりそうか? 残念ながら現時点ではそうとは言えない。実際先日東大は民間の試験を合否判定に使わない(=4技能を測らないということではないが)と表明したし、国立大学協会も民間の試験の配点を、英語全体の1割弱に抑えたいと考えているようで、早速トーンダウンしている。
 
 では改革を阻むのは東大や国立大のせいか? そういう面も否めないんだけど、もちろんそれだけではない。むしろ世論の盛り上がり(と言ったら大げさ?)が欠けていることが一番大きい気がする。
 
 そもそも日本の英語教育は、実践面で全く役立たないと昔から言われてきて、改善しようという動きだって結構前からあった。中高大と10年も学ぶんだからもっと実用的な英語を身につけさせたい、というのは概ね皆に受け入れられる考えだった。でもいざ改革をしようとなると、表立った抵抗ではないんだけど、やっぱり今のままでいいんじゃない、今の学校英語で下地を作れば実用英語は自分で習得できるよ(その二度手間を何とかしたいはずなんですけどね)、という空気感が高まってくるという不思議な矛盾があった。
 
 でもさすがにこれだけグローバルな時代となり、これまで実際的に英語が必要とされなかった人だって、いつ必要になるかは分からない。そうした状況を考えると学校で実用的な英語を身につけ、大学入試でもその力を問うというのは妥当な考えだ。
 
 上述のように英語改革の動きは以前にもあったが、今回こそは大きく変わるのではという期待があった。本当に今回こそ改革が尻すぼみになってしまわないよう(既にちょっとなりつつあるのだが・・・)、多くの日本人に、英語教育は実際的に使えることが第一に重要というマインドが生じ、実用的な英語力を問わない大学には行かないぞ、くらいの世論が出来上がることを望みたい。