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ある家庭教師の独り言

私のダイエット法・・・と英語の指導法

 もう10年ほど前になるが、私は長年吸っていたたばこを止めた。するとご多分に漏れず、食欲が増し、知らぬ間にたくさん食べるようになっていたのか、体重がじわじわと増えていった。

 私は太る体質ではなかった(と自分では思っていた)ので、体重の増加には気づいていたものの、たばこを止めたことによる一時的なもので、いずれは元に戻るだろうと思い、特に何をするわけでもなく放っておいた。

 でも体重の増加は止まらず、お腹の脂肪のせいで、前にかがみにくくなったり(足の爪を切る時に感じた)、ズボンのウエストのサイズも、1つ上がり、2つ上がり、3つ上がり、となっていき、ダイエットなど考えたこともなかった私も、さすがにやらないとダメかなと思うようになった。

 そして、たばこを止めて(=太りだして)2年後、ついにダイエットを実行することにした。その時には、体重が以前に比べて10kg増えていた(65kg→75kg)のだが、その分を減らして元に戻すことが目標だ。

 さて、ダイエットの方法なのだが、それを考える前に、やると決めたら確実に成果を出したかったし、また私は根本的なことから考えないと気が済まないたちなので、そもそも痩せるとはどういうことか、どうなれば痩せるのか、ということを考えた。

 すると痩せるとは、消費カロリーが摂取カロリーを上回ることで起こること、そして具体的な数値で言うと、消費カロリーが摂取カロリーを7,000kcal上回ると、体重が1kg減るということが分かった。

 とにかく根本は、消費カロリー > 摂取カロリー、となればよく、そのためには、運動などをして消費カロリーを増やすか、食事を減らして摂取カロリーを減らせばよいということになる。

 これを踏まえて、改めて巷で言われているダイエット法を検証してみたが、まずは、いくら食べてもよいという、最も疑わしい方法は、どう考えても上の不等式を満たすはずがないので、即却下。次に「こんにゃくダイエット」のような一品だけを食べるという方法も、その必然性がないので(摂取カロリーを減らすことと、品目数を減らすことは関係がないし、ましてや一品にする必要は全くない)、やはり却下。「炭水化物抜きダイエット」のような特定の栄養素を抜く方法も、同様に必然性が感じられず(それにいかにも体に悪そう)、これも却下。

 運動をして、消費カロリーを増やす手もある訳で、そちらの方も検証してみた。ところが、この方法が有効でないことは、すぐに思い知らされた。調べるとすぐに分かるのだが、運動というのは、意外とカロリーを消費しない。例えば、身近なジョギングだが、それによって7,000kalを消費するには(つまり1kg痩せるには)、何と約100km(フルマラソン2回半に相当)の距離を走らなければならない。

 つまり食べる量を減らさずに痩せるには、これだけの運動が必要になる。私が目標としている10kg分を痩せるには、約1,000km(フルマラソン25回分、東京~大阪1往復分の距離に相当)も走らなければならず、とても現実的とは思えない。

 ということでやはり、食事を減らすこと(栄養バランスは考えながら)が、最適な方法だろうということに落ち着いた。元々そうなのだろうと思っていたし、ダイエットを決意した時点で、食事を減らす覚悟も出来ていたので、そこは問題がなかった。逆に食事を減らしすぎると、体が飢餓状態と勘違いして、より脂肪を溜めこもうとして、やせにくい体になってしまうと聞いていたので、食事をどこまで減らしてよいものかが、気になっていた。

 そうした疑問に答えてくれ、そしてまさに私のダイエットの道標となってくれたのが、ちょうどタイムリーに出版された「いつまでもデブと思うなよ: 岡田斗司夫著」という本だった。この本で提唱されている「レコーディング・ダイエット」により、私は痩せることができたのだが、その方法は、食べたものとそのカロリー数を全て記録(recording:レコーディング)するというものだ。

 ちなみに、すぐに挫折してしまわないよう、まずは記録さえとればいくら食べてもよい、という段階から始めることになっている。いずれは食べる量も減らさなければならないのだが、それも無理やりという形ではなく、記録をとっていくうちに、自然と食習慣が改善されることを目指す(毎回、ラーメン大盛と記録されているのを見て、たまには普通盛にするか、と考えるなど)。

 そして最終的には、1日あたり一定のカロリー数に抑えるのだが、その一定数というのが、基礎代謝量(特別何もしなくても、呼吸など生命維持のために消費されるカロリー)で、これを下回ってしまうと、上で述べたように体が飢餓状態と勘違いし、痩せにくくなってしまう。基礎代謝量は、性別や体のサイズによって変わるが、私の場合は約1,500kcalだった。

 一方で、通常の生活で1日に必要とされるカロリー(=その量を摂取していれば、太りもせず痩せもせずというカロリー)は、これも性別や体のサイズ、普段どれくらい体を動かすかによって変わるが、私の場合は約2,200kcalだった。

 つまり私は1日約1,500kcalの食事をしていれば、2,200kcal ― 1,500kcal = 700kcal分摂取カロリーが下回ることになり、1日あたり100g、10日で1kg、そして3ケ月と10日ほどで、目標の10kgが痩せられることになる。

 実際にそのダイエットを実行し、どうなったか? 結果から言ってしまえば、見事なほど計算通りに痩せられた。やはり、根本的に正しいことをきちんと実行すれば、確実に結果は出るのだなと、しみじみ思った。

 もちろん、それなりの苦労もあった。一口に1,500kcalに抑えると言っても、ちょっと調べてみるだけで、結構難しいことが分かる。レストランのごく普通のセットメニューや、コンビニの弁当なども、800kcalくらいあったりするし、焼肉やハンバーグ系となると、1,000kcalを超えたりする。パンにハムエッグにサラダという、質素だと思っていた普段の朝食も、計算してみると実は600kcalくらいあった。

 だから初めは、1,500kcalに抑えるなんて本当に可能なのかと思ったが、外食でも、例えば野菜中心でカロリー控えめのものを選んだり、肉系でもミニサイズのものにすれば、意外と何とかなることが分かった。普段の朝食にしても、油っぽいソーセージを、あっさりしたハムに変えるだけで、結構カロリーが下がることが分かった。また毎食ごとに節制しなくても、夜はがっつり食べる代わりに、その分朝と昼を一層抑える、などということも出来た。

 とは言え最初はやはり、1回分の食事が物足りなく感じ、えっ、これで終わりなの、と悲しく思ったものだが、食後に悲嘆にくれている(!?)うちに時間が経つので、そこでそれなりの満腹感も生じ、これでもやっていけるのかな、と何とか自分を納得させた。でも意外と数日で、こうした食事にも慣れ、上述のように工夫してカロリーを抑える作業も、パズル解きのようで楽しく、総じて私のダイエットは、そうつらいものではなかった。

 そんなこんなで私は、何とかダイエットが続けられた訳だが、その理由の第一は、やはりどうしても痩せたかったという意志だ。ただそれに加えて、納得感を持って実行したことも大きい。準備段階で、痩せるとはどういうことかを根本から考え、それに即した理にかなった方法を探っているうちに、これだ!という方法(つまりレコーディング・ダイエット)に出会い、あとは実行するのみと、迷いがなかった。

 ちなみに、レコーディング・ダイエットを提唱していた「いつまでもデブと思うなよ」という本には、大いに助けられた。太るメカニズム・痩せるメカニズムといった理論的なことや、どのくらい食事を減らすと最も効率よく痩せられるのか、という数値的なことは、非常に納得がいったし、実際の筆者の体験談も、精神的な助けになった。

 さらには、社会学や文化論の視点による考察もあり、たかがダイエットでも、頭のよい人が書くと、こんなにも内容の濃い、読みごたえのある本になるのだなと感心した。これからダイエットをしようという、理論派の人にお薦めなのはもちろん、ダイエットとは無縁の人にとっても、社会学の風変わりな教材、あるいは文章力を磨く教材として面白いかもしれない。

 さて、ダイエットが上手くいっても、リバウンドがよく問題になるが、それは全くなかった。私の場合、カロリーを控えた食事を3ケ月以上続けた訳だが、それだけ続けると、もはや完全に習慣化していて、目標達成となっても、別にたくさん食べたいとは思わなかった。もう痩せなくてよいのなら、さすがに基礎代謝分の1,500kcalに抑えるのは少し(それでも少し)厳しいけど、かと言って、食べたいだけ食べても、本来必要とされる2,200kcalは、基本的に上回らなくなった。

 実はここも、レコーディング・ダイエットの大きなポイントだ。特別無理をしたり、極端なことをする訳ではなく、理にかなったことを無理のない範囲で進めていくので、そうしているうちに、食べたい量自体が減ってくるのだ。食べたい量が減る、つまり食べたい量が太らない量なのだから、食べたいだけ食べても太らないということになる。だから、リバウンドも起こりようがない。素晴らしいことだ。この点は、筆者が本の中で述べていたことだが、私も追体験ができた。

 ダイエットを終えてから今に至るまで、もう何年も時間が経っている。その間私は、基本的に食べたいだけ食べているが、今も体重は変わらない。ありがたいことだ。

 以上が私のダイエット体験記なのだが(予定よりはるかに長くなってしまった・・・)、そこでの考え方や行動は、私の英語の指導法にも通じているものがあると思う。また私がダイエットで味わった体験の本質的な部分は、英語を学ぶ生徒にも追体験させたいと思っている。ご参考までに。