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ある家庭教師の独り言

受験生もあの満足感を ・・・ ソチオリンピックを見て

 ソチオリンピックが終わった。受験生はオリンピックどころではなかっただろうから、ちょっと申し訳なく思うが、何だかんだと結構見てしまった。

 フィギュアスケートの羽生選手や、スノーボードの平野選手、平岡選手のような、若者の活躍ももちろん素晴らしかったが、私のような年配の者にとっては、スキージャンプの葛西選手の、20年越しのメダル獲得が、一層感動的だった。ちょうど20年前、1994年のリレハンメルオリンピックで、あと一歩のところで金メダルを逃したこと、その後の、金メダルをとったあの感動的な1998年の長野オリンピック・スキージャンプ団体 ――― 思えば私はこれを見て初めて、スポーツが人を感動させることを知ったかもしれない ――― のメンバーから直前ではずされたこと、などをよく知っているので、感動もひとしおだった。

 一方今回のオリンピックでは、フィギュアの浅田選手や、モーグルの上村選手など、メダルはとれなかったものの、競技が終わった後のあの何とも清々しい、満足感に満ちた様子にも感動を覚えた。特に上村選手は、98年長野オリンピックの初出場からずーっと見ているので、今度こそはメダルをとらせてあげたいなあと、もはや親心のような想いを持って見ていた。結局4位と惜しくもメダルを逃したわけだが、決勝でその順位が決まった後、上村選手はどういう様子でカメラの前に立ち、どういう受け答えをするのかと心配していた(これも親心?)。でもそんな心配は全く無用で、彼女は実に満足感あふれる表情で、やってきたことが全て出せたので悔いはないとの発言。それが本心だということは、まさに彼女の表情が物語っていた。

 結局大事なのは、他者からの評価よりも、むしろ自らの評価なのだ。少なくとも他者からの評価がよくても(オリンピックで言えば、メダルをとっても)、自らの評価で納得いくものがないと、心からの満足感は得られないのではないか。

 金メダルをとった羽生選手が、転倒をしたせいか、インタビューで開口一番「すみません」とか「悔しい」とか言っていたり、浅田選手が、前回のバンクーバーオリンピックでは、銀メダルをとったのに悔し涙を流し、今回は、メダルがとれなくても、満足感で感極まって涙を流していたことからも、それは言えるのではないか。

 受験生も、まさにこうした満足感を目指すべきだ。他者の評価よりも、まずは自らの評価を高めるべきなのだ。合格がどうのと言う前に、覚えるべきことはきちんと覚える、覚えた知識を実戦で使えるよう反復練習をするなどの、目前の具体的なやるべきことはきちんとやったと、自信を持って言える心境になるべきなのだ。

 他者の評価より自らの評価が大事だと言っても、受験は合格しなければ意味がないではないか、とも言いたくなる。確かにその通りなのだが、究極的に、合否というものは学校が決めることで、受験生側ではコントロールできない。コントロールできるのは結局、やるべきことをやるということだけだ。だからそこに脇目もふらずに力を注ぐことが大事なのだ。そしてそれが満足感を生み、よい結果ももたらすのだ。

 オリンピックでメダルをとることと、入試での合格は、求められるレベルがあまりにも違うので、よいたとえではないかもしれない。でも、オリンピックではメダルをとれなかったとは言え、浅田選手や上村選手が見せたあの満足感を、受験生が持てれば、自ずと結果はついてくるはずだ。そう信じて頑張ろう。