Miscellaneous

ある家庭教師の独り言

ブログ・3年経過

 私がこのブログを書き始めたのは、2010年の10月だ。丸3年が経ち、今月で4年目に入る。感無量とまではいかないが、決して文章を書くのが好きではない私が、よく3年も続けられたなと、我ながら感心している。

 そもそもブログを書き始めたのは、個人的な意見を発信する必要性が高まってきた、と感じたからだ。個人運営の家庭教師の宣伝手段として、以前からホームページは開設していて、連絡先や授業料、指導理念などの、事務的な情報や、不変的な内容は載せていた。ただ時代が進むにつれ、そうした固定的な情報だけでなく、ブログや、さらにはツイッターフェイスブックなどで、その時その時の、何らかの事象についての生の声を発することが、一般的になってきたので、私もその手法を取入れたのだ。

 実際、家庭教師の指導を依頼していただくに際しては、やはり私がどういう人なのかを伝える必要があるが、それを直接的に語るやり方に加えて、日々の授業や、教育や、社会など、様々なことについて、その時々に何らかの意見を述べ、その意見によって人物像をイメージしていただく、という方法も大事かなと思う。

 ちなみに今の私の立場では、毎日のように頻繁に、不特定多数の人に、情報を発信する必要性は感じないので、ツイッターフェイスブックは使っていない。

 3年前に初めて書いた記事は、「貧者の兵器とロボット兵器」というタイトルだ。遠隔操作の無人兵器によるアメリカの軍事攻撃の問題を扱った、NHKスペシャルというテレビ番組を見ての感想を書いたものだ。何とも意表を突いたもので、今になって改めて見てみると、家庭教師のブログの最初の記事がこれか!、と自分でも驚くが、ちょうどブログを始めようと思った時期に、たまたまその番組を見て、あまりの衝撃的な内容に、書かずにはいられなくなったのだと思う。

 その内容が、家庭教師のブログに、しかも初回の記事にふさわしいのか、ということも考えたと思うが、当時は、ブログには、むしろ本業とは関係ないことを書くのがよいと思っていた節があり、とすれば、この衝撃的な内容は、まさに初回にうってつけだと考えたように記憶している。

 でもブログを書き進めていくにつれ、結局内容は、本業と関係した、日々の授業教育のことが中心となり、社会的なこと、その他のことは、たまに書く程度となった。

 書く頻度は、当初は月2回と考えていたが、ブログを始めて半年くらいして、月1回に落ち着いた。この程度の文章を書くだけでも、私にとっては意外と大変で、長く続けるには、月1回くらいがちょうどよいかなと思えるようになったのだ。ただ一方で、1回毎の文章量は、初期に比べれば長くなっていて、久しぶりに初回の記事を見た時は、こんなに短かったんだと、少し驚いた。

 私のブログが、多くの人の反響を呼んでいるということは全くないし、それを目指してもいない。でも、これから英語110番に入会しようかと考えている方や、すでに入会している方には、結構見ていただいているようで、嬉しく思うし、ある意味目的は果たせている。そしてそれが、ブログを書き続ける十分なモチベーションになっている。

 さらに、ブログが続けられたもう一つの要因は、習慣化だ。実は今でも、ブログを書く段になると、ちょっと気が重くなったり、今月は書くのやめちゃおうかな、という考えが頭をよぎったりするが、それでも続けられているのは、もうブログを書くことが、完全に習慣化しているからだ。やめようと思うことがあっても、もはや書かない方が気持ち悪いのだ。

 勉強においても、習慣化の重要性はよく言われるところだ。実力をつけるには、継続的な勉強をしなければならないが、そのために最も重要なのは、習慣化だ。もちろん、その勉強に興味を持ったり、意義を考えたりすることから入るのも、一つの手かもしれないが、ある程度のレベルにならないと、本当には興味を持てないことも多いし、その勉強の意義がわかったところで、遠くの大目標に思いを馳せるだけで、目前のやるべきことをやるという原動力にはならなかったりする。まずは始めてしまい、習慣化するのが先だと思う。

 ブログを始めて3年が経ったのを機に、勉強を教える側の私も、改めて習慣化の重要性を実感した。学生の皆さんも、改めて意識していただければ、と思った次第だ。